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選ぶとき、最後に残るのは「気持ち」

こんにちは、中村です。

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家電を買いに行って、同じくらいの値段で、機能もほとんど変わらない商品が二つ並んでいたこと、ありませんか。スペックの表だけ見ても、もう甲乙つけがたい。そんなとき、最後になにで決めたか思い出してみると、案外「声をかけてくれた店員さんの感じが良かった」とか「聞いたことにちゃんと向き合ってくれた」とか、そういう気持ちのところだったりします。

今日は、暮らしのなかの「選ぶ」を入り口に、人は正しさよりも、そのときの気持ちで動くんじゃないか、という話を書いてみます。

選ぶとき、点数をつけているわけじゃない

思えば、暮らしのなかでは一日じゅう、小さな選択をくり返しています。今夜のごはん、どの道を通って帰るか、誰に「元気?」と送るか。でも、そのたびに条件を全部書き出して、点数をつけて、いちばん得なものを選んでいるわけではないですよね。たいていは、なんとなく心が動いたほうへ手が伸びている。理由をあとで聞かれても、うまく言葉にできなかったりします。

情報は、あるところまでいくと横並びになります。そこから先で背中を押してくれるのは、正しさよりも、そのとき自分がどう感じたか。案外、こっちのほうが大きいんです。

あとに残るのも、気持ちのほう

おもしろいのは、あとで思い出すのも、たいてい気持ちのほうだ、ということです。何年か前に行った旅行を思い出してみても、何泊したかとか、いくらだったかとか、そういうことはけっこう忘れています。でも、朝ごはんの匂いや、宿の窓を開けたときの空気、お店の人がかけてくれた一言。そのとき心が動いた小さな場面のほうは、ふしぎと残っていたりします。

暮らしのなかに長く残っていくのは、正確な情報よりも、それにふれたときの気持ちのほうなのかもしれません。日々の記憶って、たぶんそんなふうにできているんですよね。

だれかに手渡すものにも、同じことが言える

これはお店選びや旅の話だけではなくて、なにかを人に手渡すときにも同じだなと感じます。お手紙でも、贈りものにそえる一言でも、SNSのちいさな投稿でも。正しい情報をちゃんと並べれば伝わるはず、とつい思うのですが、実際は、それだけでは心が動かないことが多い。「うれしいな」「会いに行きたいな」と一歩を運んでくれるのは、そのとき相手が感じた気持ちのほうだったりします。

だから、なにか手渡すものを作るとき、僕は「これを受け取った人に、どんな気持ちでいてほしいかな」を先に思い浮かべるようにしています。安心してほしいのか、ちょっとわくわくしてほしいのか。それが決まると、選ぶ言葉も、そえる写真の雰囲気も、自然と決まっていきます。

もしよかったら、今度なにか誰かに向けたものを作るとき、書きはじめる前に「読んだあと、どんな気持ちでいてほしいか」を一行だけ、心の中に置いてみてください。出来上がるものの手ざわりが、少しやさしくなる気がします。

明日の暮らしが、ちょっと楽しみになりますように。