こんにちは、中村です。
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五年後、どうなっていたいですか。
そう聞かれて、すっと答えが出てくる人がいます。こういう家に住みたい。こういう仕事をしてみたい。頭の中に、はっきりした景色があるのだと思います。
その一方で、この質問に困ってしまう人もいます。五年後なんて分からない。大きくしたいわけでもない。目標を書いてみても、なんだかしっくりこない。
僕は以前、そういう人を見ると、まだ目標がはっきりしていないのかな、と思っていました。いまは、そうではないと思っています。
置き場所が、違うだけ
目標の持ち方には、たぶん二つの入り口があります。
ひとつは、未来の景色から考える人。十年後にこうなっていたい、という絵があって、そこから逆算していく。世の中でよく言われる目標の立て方は、たいていこちらを前提にしています。
もうひとつは、どうありたいかから考える人。誠実でいたい。目の前の人の役に立ちたい。家族との時間を大切にしたい。自分らしくいたい。
こちらの人に、十年後に何を達成したいですか、と聞いても、あまり答えは出てきません。でもそれは、何も持っていないということではないのだと思います。大切にしているものが、未来ではなく、日々のほうに置かれている。
書いてはみたけれど
気をつけたいのは、こういう人に、無理に大きな目標を書かせてしまうことです。
紙の上には立派な言葉が並びます。けれど、書いた本人がまったくわくわくしていない。どこかから借りてきた言葉のようになってしまう。
そうなると、目標は背中を押すものではなく、できていない自分を責める材料に変わってしまいます。
数字が動き出すとき
数字が嫌い、という話でもないと思っています。
たとえば、今年はこのくらいの売上を、と言われたとき。なぜその数字なのかが分からないままだと、気持ちが乗りません。
でも、もっといいものを届けたい。そのために一緒にやる人を増やしたい。その人たちが安心して働けるようにしたい。だから、これくらいが要る。そう並べ直すと、同じ数字なのに意味が生まれます。
数字はゴールではなくて、大切にしたいことを叶えるための道具なのだと思います。
今日、どうありたいか
もちろん、人をきれいに二つに分けられるわけではありません。未来の絵も大事だし、大切にしたいことも大事です。両方がつながっているときが、いちばん強いのだと思います。
違うのは、入り口だけです。
もし、将来どうなりたいか分からないな、と思うことがあったら、質問を変えてみるのはどうでしょうか。
どんなときに、気持ちが軽くなるだろう。誰に喜んでもらえると、うれしいだろう。これだけは譲りたくない、と思うものは何だろう。
遠くの景色が見えなくても、こういうことなら、案外すぐに浮かんできます。
そこに沿って、今日の選び方を重ねていく。いつか振り返ったときに、ああ、ここに来たかったんだ、と思える場所にいるのかもしれません。
目標というのは、未来のどこか一点を決めることではなくて、自分が大切にしたい方向を決めること。そんなふうに考えてもいいのだと思っています。



