こんにちは、中村です。
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言おうとして、飲み込んだことはないでしょうか。友だちの話を聞いていて、それは違う気がするな、と思ったとき。家族の買いものを見ていて、そっちじゃないほうがいいのにな、と思ったとき。
僕はよくあります。そして口に出さずに終わったあと、自分にはこう説明していました。よけいなことを言わないでおいた、と。
黙っているのは何もしていないことではない
長いあいだ、黙るのは真ん中に立っていることだと思っていました。何も足していないのだから、少なくとも邪魔にはならない。そう考えていたんです。
でも、言わないというのも一つの選び方です。選んだぶん、こちらに見えていたものは相手のところまで行きません。そんな見方があること自体を知らないまま、相手は決めることになります。
よかれと思って引いていたつもりが、相手の選べる幅を狭めていた。そういうことが起きていたのかなと思います。
正解を言わないことと何も言わないこと
tone village では、その人の選択肢を増やしているか、正解を与えすぎていないか。この問いを大事にしています。お店でも家でも同じだと思っています。
正解を与えすぎない。これを、黙っていることだと勘違いしていた時期がありました。
この二つは別のものです。正解を与えすぎないというのは、見えているものを一度きちんと並べたうえで、選ぶところは相手に渡す。そういうことだと思っています。見せずに黙ってしまうと、相手は選ぶ手前にすら立てません。選択肢を増やさないどころか、あるものを見えなくしています。
コーヒーでも洋服でも髪型でも同じだと思います。これがいいですよ、と決めてしまうのは行きすぎです。こういうのもありますよ、と並べて見せるのは、相手の選べる幅をふやすほうです。
やさしさの裏にあったもの
飲み込んだ日のことを思い出すと、たいてい理由は自分の側にありました。
言って気まずくなりたくない。うるさい人だと思われたくない。せっかく楽しい時間なのに、水を差したくない。相手のためというより、自分がひやりとしたくなかった。それだけでした。
黙っていれば、こちらは傷つかずに済みます。楽なほうを選んでいただけなのかもしれません。気まずくなる可能性も、断られてしょんぼりする可能性もゼロにできる。やさしさという言葉の裏に、そういう安全が隠れていました。
一度だけ置いておく
今は、気づいたことは言ってみるようにしています。そのかわり、一度だけにしています。
伝えて、相手が今回はいい、と言ったら終わりにします。言い方を変えてもう一度、はやりません。二度目からは、相手のためというより、自分が言い足りないだけの話になっていくので。
迷ったときは、こう置き換えてみます。これが自分の家族だったら、言うだろうか。そうすると、答えが出やすくなります。
言ってみて、そうかなあ、と返されることもあります。それでも、飲み込んだ日よりは、そのあとの時間が軽い気がしています。



