こんにちは、中村です。
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今日は、スーパーやコンビニで、ちょっとだけやってみるとおもしろいことを書いてみます。
二十本の中から一本選んでいる
飲み物の棚の前に立ったときのことを、思い出してみてください。
お茶でも、水でもいいです。似たようなものが、二十本くらい並んでいますよね。値段もそんなに変わらない。中身も、正直そんなに変わらない。
でも僕らは、その中からちゃんと一本選んで、レジに持っていきます。
これ、よく考えるとすごいことだなと思うんです。ほとんど同じに見えるものの中から、迷いもせずに一本を決めている。
なので、たまにこうしています。
なんで、それを選んだんだろう。
一回だけ、言葉にしてみるんです。
「なんとなく」のもう一段だけ下
やってみると分かるのですが、最初は「なんとなく」しか出てきません。
それでいいと思っています。ただ、その「なんとなく」の中身を、もう一段だけ考えてみる。
パッケージの色が好きだったのかもしれない。前に飲んだことがあって、味を知っていたからかもしれない。いちばん手前にあって、取りやすかったからかもしれない。どこかで見たことがあったからかもしれないし、なんとなく体に良さそうな気がしたからかもしれない。
どれも立派な理由です。
そして、どれも、誰かが考えて、そこに置いているものなんですよね。棚のどこに置くか。どんな色にするか。どんな名前にするか。全部、誰かが決めています。
自分がその工夫に乗っかった瞬間を、自分で見てみる。
それだけのことなんですけど、買い物が、ちょっとおもしろくなります。
お店を選んだ決め手も思い出す
同じことが、お店選びでもできます。
ご飯を食べに行こう、というときに、検索して、写真を見て、口コミを見て、ここにしよう、と決めますよね。
そのとき、最後の決め手は何だったでしょうか。
料理の写真だった、ということもあります。でも、けっこうな確率で、違うところで決まっていないでしょうか。
駐車場があるかどうか。子どもを連れて行けるかどうか。夜遅くまでやっているかどうか。予約が要るのか、ふらっと行けるのか。
お店の側は、たいてい料理の写真をいちばん大きく出しています。いちばん自信があるところなので、当然だと思います。
でも、選ぶ側が最後に見ているのは、駐車場だったりする。
ここに気づくと、街の見え方が少し変わります。看板も、メニューも、貼り紙も、誰かが「こう見てほしい」と思って置いたものなんだな、と分かるようになるので。
誰かに「これ良かったよ」と言ったとき
もう一つ、思い出してみてほしいことがあります。
最近、誰かに「これ良かったよ」と言ったものはありませんか。
お店でも、食べ物でも、道具でも、本でも、なんでもいいです。頼まれてもいないのに、人に言ってしまったもの。
それも、なんで言いたくなったのかを考えてみると、けっこうおもしろいです。
安かったからでしょうか。想像より良かったからでしょうか。誰かに話したくなるようなことがあったからでしょうか。あるいは、その相手に合っていると思ったからでしょうか。
自分が人に言いたくなった理由は、自分がいちばんよく知っているはずなんですよね。それなのに、ふだんはあまり考えません。
使う人と選ぶ人が違うこともある
もう一つだけ。
使う人と、決める人が、違うことがあります。
子どものおもちゃがそうですよね。使うのは子どもですが、お金を払うのは親です。子どもがどれだけ欲しがっても、親が「それはちょっと」と言えば買われません。逆に、親が「これは良さそうだな」と思えば、子どもがそこまで欲しがっていなくても買われることがあります。
贈り物も同じです。使うのは相手ですが、選ぶのは自分です。
だからギフト売り場の言葉は、贈る人に向けて書いてあります。「喜ばれます」「失礼になりません」。使う人にではなく、選ぶ人に向いているんですよね。
そう思って売り場を歩くと、言葉が誰に向けて書かれているかが、少しずつ見えてきます。
今日買い物に行くことがあったら
特別な道具はいりません。お金もかかりません。
もし今日、どこかに買い物に行くことがあったら、一つだけ。
なんで、これを選んだんだろう。
そう考えてみると、いつもの帰り道が、ちょっとだけ違って見えるかもしれません。



