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好きなお店のマークに、溜まっているもの

こんにちは、中村です。

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今日は、好きなお店のマークの話から、ロゴってなんだろう、ということを書いてみたいと思います。

マークと一緒に、時間まで浮かぶ

好きなお店やブランドのマークを思い浮かべると、そのマークだけじゃなくて、そこで過ごした時間まで、一緒に浮かんできませんか。お店の空気とか、店員さんとのやりとりとか、誰かと行ったときのこととか。

でも、よく考えると、そのマークが素敵だから通うようになったわけではないですよね。通っているうちに、いろんな時間がそのマークにくっついていった。だから今、そのマークを見ると、まとめて思い出せる。順番としては、マークが先にあって好きになったというより、好きな時間が積み重なった結果、マークが特別になった、という感じだと思うんです。

ロゴは、からっぽの器

僕は、ロゴのことを「器」だと思っています。器って、それ自体は最初からっぽですよね。ただの形。そこに、いい時間が少しずつ注がれていくと、だんだん中身が溜まっていく。逆に、いやな思いをすれば、それも溜まっていく。

同じマークを見ても、いい気持ちになる人と、そうでない人がいる。それは、その人がその器に、どんな時間を注いできたかが違うからなんですよね。マークは同じでも、中身は人によって全然違う。

そっけないマークが、いちばん強かったりする

面白いのは、すごくシンプルな、そっけないくらいのマークほど、強かったりすることです。赤い枠に白い文字だけ、とか。四角の中にカタカナが並んでいるだけ、とか。凝ってはいないのに、見ればすぐ分かるし、雰囲気まで浮かぶ。

あれは、マークの形が優れているからというより、その形が長いあいだずっと同じ姿で、いろんな場所に出続けてきたからだと思うんです。袋、値札、お店の看板、店員さんのエプロン。何度も同じ形を見てきたから、静かな形なのに、思い浮かべるものがいっぱいある。

器を新しくしても、中身は変わらない

これは、お店に限らず、自分のことにも言えるのかなと思います。

肩書きを新しくしたり、見た目を変えたりすると、なんだか自分も変わった気になることがあります。でも、器を新しくしても、そこに注いできた日々が変わるわけではないんですよね。中身は、毎日の小さな積み重ねのほうにある。ちょっとした受け答えとか、続けてきたこととか。そういう、写真には撮れないものが、じつは器に溜まっている。

今日、何を注いだかな

もちろん、器がいらないという話ではありません。器がないと、そもそも注げない。ただ、器そのものを新しくすることより、そこに何を注いでいるかのほうが、たぶん大事なんだと思います。

もしよかったら、今日一日を振り返って、自分は何を注いだかな、と考えてみてください。誰かにかけた言葉でも、ていねいにやった小さなことでも。器を新しくするより、そっちを見てみるほうが、案外、じんわり効いてくる気がします。

今日より明日が、ちょっと楽しくなりますように。