こんにちは、中村です。
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お店にいると、自分の話し方が変わる
お店に立っていると、日によって自分の感じが違うな、と思うことがあります。
相手によって、というほうが正確かもしれません。ゆっくり話す方といると、自分もゆっくりになります。ドッグランで会う犬好きの方といると、こちらもいつのまにか長く話しています。急いでいる方が続くと、自分の動きまで少し早くなっています。
そのどれかが本当の自分で、あとは取り繕っている、という感じではありません。そのときそのときで、出てくるものが違うだけです。
どれが本当の自分か、という問い
本当の自分、という言葉があります。
僕も長いあいだ、それがどこかにあると思っていました。自分は本当は何がしたいのか。内側を掘っていけば、いつか揺るがない何かに当たるのだろう、と。
でも、暮らしの中の自分を思い返すと、そんなにきれいに一本ではありません。仕事のときの自分、家にいるときの自分、昔からの友達といるときの自分。どれも少しずつ違います。決めるのが早い人が、家では何も決められない、ということもあります。
そのうちのどれかを取り出して、これが本物です、と決めるほうが、なんだか不自然な気がしてきました。
誰といるかで、出てくるものが変わる
人は関係の中で変わる、という考え方があります。
自分というものが一人で完成しているのではなくて、相手や場所との関係の中で、その都度つくられていく。そういう捉え方です。
これは、思い当たることばかりです。おだやかな方と話したあとは、こちらの言い方までゆっくりになっています。何かを始めようとしている人が近くにいると、自分もやってみようかな、と思えてきます。逆に、否定されることが続く場所にいると、だんだん自信がなくなっていきます。
同じ自分なのに、隣にいる人で出てくるものが変わる。だとすると、自分は何者なのかを一人で考え込むより、どこに身を置くか、誰と過ごすか。そちらのほうが、暮らしを決めているのかもしれません。
変わってしまうことを、責めなくていい
本当の自分を探そうとすると、少し苦しくなることがあります。
やりたいことが分からないのは、まだ見つけられていないからではないか。今の暮らしに落ち着かなさがあるのは、ここが自分の場所ではないからではないか。去年と言っていることが変わったのは、自分に芯がないからではないか。そんなふうに、自分を責める方に向いてしまいます。
でも、人は変わって当然だと思うんです。経験すれば考えは変わりますし、出会う人が変われば、大事にしたいものも変わります。十年前と同じである必要は、どこにもありません。
選んできたことに、あとから名前が付く
好きなものを選び続ける。嫌なことからは離れる。大事にしたいものを守る。失敗したら考え直す。
そういう小さなことを重ねていくうちに、ああ、自分はこういう人間なんだな、とあとから気づきます。
自分らしさというのは、どこかで見つけ出す答えではなくて、選んできたことに、あとから付く名前なのだと思います。そう思えてから、肩の力が抜けました。
今のところに落ち着かなさがあってもいいし、去年と考えが違っていてもいい。大事にしていたものを、そっと置いていく日があってもいいのだと思います。
探しにいく場所がないのなら、あとは日々の選び方だけが残ります。今日は誰と過ごすか。何を食べて、どこを歩くか。そのくらいのところからで、いいのだと思います。



